皆さんは「ドーハの悲劇」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
もう30年くらい前の出来事になるので、若い人は知らない方も多いかもしれません。
この記事では、日本サッカー界の歴史にとって重要な出来事であった「ドーハの悲劇」について紹介します。
- ドーハの悲劇って言葉を聞いたことはあるけど内容はあまり知らない方
- そもそもドーハの悲劇という言葉を聞いたことがない方
2022年はカタールでワールドカップが開催されます。
カタールの首都はそうです。ドーハです。
ワールドカップが近づいたり、ワールカップ期間中は、「ドーハの悲劇」というキーワードが使われる場面が多くなってくると思いますので、内容を知っておくと良いと思います。
ドーハの悲劇とは
ドーハの悲劇とは、1993年に起きた出来事です。
ワールドカップ(1994年アメリカ大会)のアジア地区最終予選の最終戦(日本対イラク)の後半アディショナルタイムで同点に追いつかれ、初めてのワールドカップ出場を逃してしまったという出来事のことです。
この試合会場がカタールのドーハだったことから、この出来事のことを「ドーハの悲劇」呼ぶようになりました。
今でこそ日本はワールドカップに毎回出場をしていますが、その当時はまだ出場したことがなかったので、あと一歩でワールドカップ出場できなかったというのはニュースなどでもかなり大きく取り上げられ、世間の大きな関心事になっていました。
「ドーハの悲劇」当時の日本代表メンバー
当時のメンバーは以下の通りです。
現在は多くが監督や解説などで活躍されているので、皆さんご存じの方も多いのではないかと思います。
【スタメン】
FW 三浦知良、中山雅史、長谷川健太
MF ラモス瑠偉、森保一、吉田光範
DF 勝矢寿延、井原正巳、柱谷哲二、堀池巧
GK 松永成立
【サブ】
福田正博、武田修宏、前川和也、都並敏史、大野俊三、三浦泰年、高木琢也、黒崎比差支、北澤豪、大嶽直人、澤登正朗
【監督】
ハンスオフト
現日本代表監督の森保一監督もメンバーの一人
現在日本代表の監督をやっておられる森保一監督も、ドーハの悲劇を経験した代表の選手でした。
当時はかなり悔しかったんじゃないかなと思います。
この経験から、「勝たなければ何も得られないことを実感し、形はどうあれ勝ちにこだわることを学んだ」(文春オンライン)と言われています。
そんな森保さんも今度は代表の監督という立場で因縁の地カタールでのワールドカップに挑みます。
過去の悔しさをカタールで晴らす気持ちで日本代表を勝利に導いてもらいたいと思います。
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